そういえば元気にしているかしら

"そういえば元気にしているかしら"

たまにそうやって友人から思い出してもらえる人になりたい。

という話を。

 

私には、"そういえば元気にしているかしら"と思い出す知人が数人いる。

知人という言い方をしたのは私の性格故だが、

友達とこちらは思っていてもあちらは…というネガティブからくるものだ。

 

"そういえば元気にしているかしら"の対象の人を想う時間が好きだ。

数年前に会ったときのことを思い出し、その時に聞いた近況から、

最近はどうかしら、と思いをはせる。

 

SNSを頻繁に更新しない人だと尚更、その時間が価値のあるものになる。

たとえばInstagramアルゴリズムだかなんだか知らないが、

更新が頻繁な人の投稿は人の目に留まるようにできているらしい。

 

それがインフルエンサーだけでなく一般人にも適用されているのであれば、

"そういえば元気にしているかしら"な人の投稿を滅多に目にしないのは当たり前かもしれない。

 

そもそも、更新が頻繁な人は"そういえば元気にしているかしら"と思わないし、

"そういえば元気にしているかしら"にカテゴライズされないだろう。

自己完結してしまった。

 

私は寂しがり屋だし、自己顕示欲は高めなほう。

だから頻繁にSNSに顔を出すし、投稿もアクティブなほうなので、

だからまあ、このご時世、私は滅多にその対象にはならなさそうだ。

 

でも、

"そういえば元気にしているかしら"の対象の人はSNSをやらない人が多い。

というのであれば、"そういえば元気にしているかしら"の人々は、

もしかしたら私にも、"そういえば元気にしているかしら"と思っていてくれているかもしれない。

 

私は寂しがり屋だから、SNSに大量に時間を費やしてしまう人だけど、

SNSに時間を費やさない人のおかげで、私の好きな時間が生まれているのだと思うと、

なんとも表現しがたい感情になる。

 

孤独な時間を埋めてくれるSNSに日々助けられているが、

そういう時間の大切さや尊さに気付かせてくれた意味でも、

SNSにありがたさを感じた今日この頃。

 

ところで、

"SNSをやる人はSNSをやらない人よりも孤独を感じている"

という研究結果があるらしい。今度はこれについて調べてみようと思う。

 

今日はここまで。